速報〜自由国際貿易都市に変貌するウラジオストーク最新情報〜

日露ビジネスセンター大阪事務所
代表 岩佐 毅 2003年10月20日

〜新生ロシアの息吹に触れた久方ぶりのウラジオストーク〜
10月14日から久しぶりに(1年4ケ月)ぶりに、ロシア極東の要地・ウラジオストークを訪問し、変わり行くロシアを取材した。あるテレビ局の依頼で原子力潜水艦解体工場や日本海をとりまく環境問題などの取材・撮影の準備のため各種関係組織と協議をするのも訪問の目的のひとつである。

和食店“七人の侍”にて
 太平洋海洋調査研究所、在ウラジオストーク日本総領事館などとの協議を終了し、いよいよ今日が最終日で、ウラジオストークの北西100キロのところにある閉鎖都市ボリショイ・カーメン(“大きな石”の意)にあるZVEZDA(“星”の意)の代表者との協議を終えて、明日10月21日帰阪予定である。
 先月末に念願のホームページを開設し、すでに500以上のアクセスが記録され、閲覧したテレビ局や翻訳会社などから思いがけず仕事も舞い込み、反響の大きさと速さに驚いている。
 さて、久方ぶりのロシアは今速いテンポで変化しており、この国の底力をまざまざと見せ付けられている。
まず、町の中心部がきれいに整備され、噴水なども設置され、とても綺麗にお洒落になっている。
 


ネザドンナヤ・ボチカの入口に立つキュ
ートなウサギちゃん
また、以前は夜間どこといって遊びに行くところなどはなく、ひたすらウオッカを飲んで酔った勢いで早寝するしかなかったが、カジノをはじめ、様々なレストランやユニークなナイトクラブなどが続々開店し、とても楽しくなってきた。
ロシア料理店はもちろん、中華料理店は無数にあり、『七人の侍』という味も値段もまずまずの新しい和食店も開店され、本格的イタリア料理店、アラブ料理店、韓国・北朝鮮料理店、アルメニア料理、さらにはホモバーなども開店している。
『ネドンナヤ・ボチカ=底なし樽』という際物ショーのあるなかなか洒落たクラブの開店2周年記念パーテイーに参加したが、夜11時からショーが始まり、朝4時まで延々と続き、素晴らしいスタイルの怪しげな踊りを披露する女性ストリップがいくつか終わると、カウボーイ姿の男性ストリップが突然始まり、コミカルな踊りで観衆を笑いの渦に巻き込む。
〜ソ連崩壊後10年で明るく自由な社会に変身するロシア〜
ソ連崩壊からすでに10年ほど経過し、ロシア社会は明るく自由な国へと急激にそして確実に変化している。貧困や失業、突然の経済危機などなど様々な矛盾や問題を抱えながらも、長らく社会主義共産主義を目指していた閉鎖的旧ソ連体制の文化・経済・社会などが音を立てて破壊され、新しく自由で民主的な社会と人間性を取り戻しつつある明るく新たな新生ロシアへの復活の息吹きを強く感じさせられる。
 旧ソ連時代は一般国民は安定こそしていたが、平均して一様に貧しく、質素な暮らしをしていた。単に物資が乏しいだけでなく、全体に活気がまったくなく、暗く閉鎖的社会で、我々が一週間も滞在するとストレスがたまりきり、息をするのも苦しく、眉間のあたりが鈍く痛み続けるような毎日であった。

見ごたえのあるロシアのストリップ

BEZDONNAYA  BOCHKA(”底なし樽”)
Ul.Fontannaya 2,Vladivostok
Phone 22-13-83
www.bochka.v1.ru

 ロシア人たちはそれでもソ連には石油・ガス・石炭・森林・鉱産物など無限の資源があり巨大な国土を保有していることにとても誇りをもっていたが、「どうして貧しいんですか?」との疑問には顔を曇らせ、あきらめ顔で、『カーキ色(軍隊の意)が全部食ってしまう』と嘆いていた。1970年代-80年代にソ連船を訪問すると、船員の人事管理をするため必ず政治委員と称する一等航海士が肩をいからせて船員たちに睨みを利かせていた。
 そしてとうとうと『ソ連という社会主義社会体制の優位性を強調し、教育・医療は無料で全国民に保障されており、老後は十分な年金もあり、失業も売春も根絶された理想社会』と演説をしていた。
 しかし、私がその頃初めて訪れたモスクワで聞いた庶民の声はまったく逆で「犬以下の生活!」というはき捨てるような言葉であった。そして、ホテルのバーやレストランには毎夜続々と夜の姫君が(売春婦)が出没し、堂々と外国人の袖を引いていたものである。
ペレストロイカが開始された頃、一度レニングラードのバーで、本当にごく普通の質素な身なりの若い女性に「セックスマッサージ!プリーズ」と誘われ、あまりにも素人っぽい感じなのでビールをご馳走し、片隅でしばらく四方山話を聞いたことがある。実は彼女は国立の博物館学芸員で、毎月50ドルほどの給料が4ケ月間遅配となり、とうとう夜の街角に立つようにな たそうである。
 『“失業と売春”の根絶された理想社会』は一体どこあるのでしょうかと、あのときの政治委員に聞きたいような気がしたものである。
他の船員たちに陰では『サバーキ(犬の意)』と憎々しげに呼ばれていた、政治委員たちはソ連と共産党崩壊後、船室にあった共産党幹部の肖像画や共産党関係の書籍などがゴミのように海に投げ捨てられ、追放されてしまったそうである。
 そして、しばらくすると、ある日かつては金色に光る肩章をつけて睨みをきかせていた彼らの一人が、単なる油差しの船員として薄汚れた作業着で寂しそうに働いている姿を船上で見かけたものである。

〜早いテンポで進む民営化と出現した新しい青年実業家〜
 また、民営化がかなり進み、日露間の輸送航路や鉄道輸送の面で優位に立つウラジオストークでは日本からの様々な中古車や中古建設機械の輸入が一大産業として定着し、全ロシアへの配送拠点となっている。
また最初は担ぎやスタイルで日本に通いはじめた若い青年たちの中から、自力で正に本物の実業家が育ち始めている。今回訪問した、HINO-Vladivostokの30歳の青年社長は創業5年ですでに相当の規模のビジネスを展開し、現在毎月約150台もの中古車(ほとんど大型トラック車と建設機械)をロシア各地の支店を経由して販売しているとのことである。現在、従業員63名、在庫車両200台といい、本社前の展示場には大型トラックや中古建設機械がずらりとならび、活況を呈している。

HINO- VLADIVOSTOK
社長 Mr Verkeenko

200台のトラックがところ狭しと並ぶ
在庫センター
 
インタビューに応じた社長は、実に若々しい爽やかな青年で、ロシア国立極東大学政治学部を卒業後まもなく中古車輸入業に身を投じ、偶然知り合った岐阜日野販売会社との業務提携がうまく進み、主として西濃運輸からの下取り大型車を輸入販売しているのだそうである。日本では業務用大型車は一定の年数が経過すると、まだまだ使用できるものでも安全性や修理費と燃費の増大などを考慮し、経済効率をたかめるため早期にスクラップし新車に入れ替える。
 そして、それらの廃棄処分にはそれなりの費用がかかるが、ロシアに持ち込み格安でも販売すれば、結構の金額になり、またロシアでも日本製の中古車は安くて品質がよく、かなりの年月まだ使用できるため大きな需要があり、日露双方利益がぴったり合致しているのである。
 また、日本側からの資本には一切頼らず独自資金で会社を設立運営し、スタッフもすべてロシア人ということで、“マラデッツ”(素晴らしい)の一言である。
変化するロシア社会のニーズにあった新しいビジネスを展開し、日本側パートナーの信頼もバネにして、短期間に素晴らしい発展をとげた、正に新しく復活してゆくロシア社会を象徴する青年実業家の登場である。更にサービスセンターを拡充したり、来年にはトラックのラリー競技会開催を主催するなど、次々と夢を語る若き獅子の目は新生ロシアを象徴するかのように輝いている。
(10月20日ウラジオストーク発)