〜正午のドンも市民におなじみ〜


ウラジオストク市内中心部とウラジオストークの目前のルースキー島に残る旧海軍の要塞は世界中でもっとも威力のある“砦”一つであると考えられています。何世代にもわたるロシアのエンジニアーたちによって構築されたこの旧要塞は、現在では既に実質的な軍事的意義は失われていますが、ウラジオストク市内でとても興味深い歴史的建造物となっています。
ウラジオストク要塞は既に記念博物館となっており、沿海州の首都のまたとない代表的記念碑となっています。ウラジオストク要塞は1989年に要塞としての地位を確立しました。
1916年までにこの要塞には様々な軍事施設(約130)が構築され、量的にロシア軍をしのいで攻略する敵の陸・海軍の攻囲を持ちこたえることができました。ムラビヨフ・アムールスキー半島とルースキー島の4百平方キロメートルの場所を占めるこの要塞に現存する施設には、色々な地下待避壕と地下道が迷路のように張り巡らされています。それらは歴史的に大きな意義をもっています。
    正午の“ドン”発射の瞬間
この博物館の展示物は堡塁と火砲類の歴史を示すものだけではなく、沿海州とウラジオストクの歴史をも物語るものです。ウラジオストク要塞博物館には十九世紀末〜二十世紀初頭のロシア製及び外国製の様々な火砲類が展示されています。また、博物館の裏庭には1930年から1980年までに用いられた、海軍と海岸警備の火砲類が展示されています。7番トーチカ砲台の隣には対潜水艦砲とさまざまな種類の機雷とともに魚雷と弾道兵器も展示されています。この博物館には十八世紀から十九世紀の初頭の小火器銃から近代的で世界的に著名なカラーシニコフ自動小銃までのさまざまな種類の軽火器が展示されています。また、ウラジオストク要塞博物館の中では全州・全市の様々な集会が開催されたり、現在でも毎日丁度正午に大砲の発射、いわゆる大阪城でも行われていた“ドン”が行われたり、米国、日本、中国、フランス、韓国、カナダ、台北等の沢山の外国の太平洋海軍司令部の使節団がその博物館を訪問しています。
ウラジオストク要塞博物館は、ウラジオストクの中央にあるBEZIMYANNAYA小山と言うところに位値しており、そこからアムールスキー湾と市内中心部の美しい町並みや光景が全面に展開しています。ウラジオストクを訪問する観光客と市民もこの歴史博物館でウラジオストクの歴史を学ぶだけではなく、ただ単に憩いのためによく訪問し、楽しい一時を過ごしています。
(写真・記事はエレナ通信員、翻訳はアレクセイ・ネチャーエフさん)







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