・ウクライナ娘の目に映った“山陰の小京都” アナスターシャ・ミロシニチェンコ |
04年6月更新 |
・歴史と芸術の古都・ペテルブルグに暮らして スベトラーナ・ペトレンコ |
04年6月更新 |
在留日本人約30人が集いウラジオストーク総領事館で新年会 外間 進 |
04年2月更新 |
〜スベトラーナの独白日記〜 |
|||||
スベトラーナ・ペトレンコ(サンクトペテルブルグ在住) | |||||
〜 私と「彼」のロマンスは24年前に始まって、今まで続いてる。まるで魅力的なストーリーのようだ。毎朝、目覚めて、「彼」を眺めながら「おはよう」と声をかける。「彼」が私の運命、現実になった夢、私のこころのやすらぎだ。毎日、「彼」は少し違うが、毎日、実に美しい。〜 これが − 私の街、サンクト・ペテルブルグだ。窓から彼を見ていて、今日の街の上はどんな空かなぁと思っている。サンクトペテルブルグの空...毎日違う空だ。ある日、眩しいほど鮮青で、嬉しい空であり、ある時には、サンクトペテルブルグの通りと都会人を雨の涙で洗ううっとうしく曇っている空だ。が、どの空でも、私は好きだ。朝、ペテルブルグに、フィンランド湾の近くのマンションの小さな部屋の窓から、愛しい街に挨拶して、新しい日の物語を始める。
私の名はペトレンコ・スヴェトラーナ。ごく一般的な24才のロシアの女性だ。サンクトペテルブルグで生まれたときから、今もなお住んでいる。ペテルブルグっ子だと言える。 街に心を奪われて、生きている...でも、ときどき、街の美しさが日常生活の俗事に負ける。そのとき、ペテルブルグの人の顔を見ると、考えている。やはり、 “北の首都”の都会人の私たちは、時にはその街の美しさに気づかないで、暮らしている。朝、仕事に急いで、夜、仕事を終えて、一刻も早く帰ろうと急いで、バスの窓から、エルミタージュ美術館や壮大なイサク寺院を見ながら、世事のことを考える。 だが、外国人観光客にとってサンクトペテルブルグはまた違ったものに見えるだろう... 貴方も、サンクトペテルブルグという名前を聞くと、何を想像するでしょう? 私は2002年にサンクトペテルブルグの東洋大学を卒業した。あのときから、もう二年ほど、日本人観光客のガイドとして仕事をしている。顔に感心を浮かべる観光客を見ると、私の心も非常に嬉しい。私の街は、本当に綺麗だと確信している。 サンクトペテルブルグは創立された頃から、神話となぞをかねそなえた街だった。去年、建都三百年を迎えたが、他の街と比べると比較的若いのだが、数えられないぐらい多数の、ありそうもない伝説と驚くべき物語に覆われる街だ。サンクトペテルブルグの歴史にはたくさんの伝説があるだけではない、昔の肖像画から永遠に見る人の運命を映している。
詩人、作家、画家など世界中の芸術家の故郷だ。ペテルブルグをテーマにした作品を読めば読むほど、この街の心がいろいろの面から見えてくる。プーシキンの詩にたたえられて、壮大で誇らしいが、同時にドストエフスキーの小説には陰鬱で情にもろい心のある街が描かれている。サンクトペテルブルグはまるで「人間」のように、毎日違う気持ちを持ち、違う顔を見せて、前日から明日に歩いている。 1703年5月、“ザヤティイ”という小さな島でピョートル一世に創立された要塞から始まって、現在は40以上の島に要塞は置かれている、川や橋のほとりに博物館が至る所にある。戦争や革命、荒廃や隆盛、瓦解の時期を越えて、素敵な顔を残した。 100冊の本にも、多数の観光地の美しさや歴史を描ききることができないほどの街だ。実際、私は自分の生まれた街に称賛ばかりを述べるつもりはない。 ただ、みんなのためにペテルブルグのこころが見えるドアを少しでも、開きたいと思う。 以上述べた通り、サンクトペテルブルグの歴史はトレジーニという建築家に、ザヤティイ島でピョートル要塞の土台を築いた日から(1703年5月27日)始まった。要塞の中心には“パーヴェルとピョートル”寺院がそびえ立っている。金鍍金した寺院の尖塔が天使の像に冠されている。この天使は空の上から一秒も寝ることなく、その日の朝から翌朝までペテルブルグを見ながら、敵や崩壊から守っており、街の守護天使や街の力のシンボルである。 エカテリーナ女帝の冬宮・エルミタージュは「宝の手箱」 ピョートル要塞の近くに他の歴史的な中心がある。宮殿前の広場とエルミタージュ美術館だ。エルミタージュのもう一つの名前は“冬の宮殿”だ。もともとは、ロシア皇帝の冬の官邸として立てられた。昔、格式高い芸術品の収集品を所蔵するために、いくつかの部屋を使った。その部屋にエルミタージュという名前が付けられた。次第に、芸術品のコレクションが増え、更に新しい部屋を使うようになった。そのため、小エルミタージュ、大エルミタージュ、エルミタージュ劇場や新エルミタージュの建物が建てられた。現在、その全ての建物をあわせると世界一大きな美術館の一つであって、毎日ペテルブルグの何千という人々と観光客を楽しませている。ルベンス、レムブラント、レオナルドダビンチなどの有名な芸術家の作品だけではない、世界の多くの国の歴史と文化の遺産がそこに収集されている。ロシアの国の「宝物の手箱」だ。サンクトペテルブルグの誇りと財産と言える。 一度訪ねて好きになったところに将来再び戻ることができるために、お水にコインを投げる習慣がある。世界中の川と湖と噴水にはいろいろな国の人に投げ入れられたコインが集まっている。人間は魔法と縁起を信じたいものだから、そんな素晴らしい習慣を考えついた。もしも、私は観光客としてサンクトペテルブルグを訪れるようになったなら、ネバ川の宮殿端の真ん中から一生忘れられない景色が見えるところ(右方にエルミタージュ、左方にピョートル要塞)からコインを投げたいと思う。が、ペテルブルグに生まれて、自分の心を街の心と結び合わせて、コインを投げる代わりに、ただ「サンクトペテルブルグ!貴方のことを愛してる!」と彼にささやいてる。言葉を小さいコインに化えて、街のこころから始まる永遠の川の流れへ... (平成16年5月) |
〜在留日本人約30人が集いウラジオストーク総領事館で新年会〜 |
|
ナホトカ市ヴグエス大学ナホトカ分校 日本語講師 外間 進 |
|
平成16年1月15日在ウラジオストク日本国総領事公邸(Vosimaya11A通り)で新年賀詞交換会が開催され、当地に在留する邦人が招かれ、全部で30人程度の方々が集まりました。当日夕方5時半に市内にある日本センター前が集合場所に指定され、日本人会より準備されたマイクロバスに乗り三十分程度で総領事公邸に到着しました。公邸前は数人の警備員によりしっかり警備されていて私たちのバスも直ぐには通さず内部と確認を取ってから通してくれました。新年会に参加した方々は極東大学の日本語講師とその学生たち、ビジネスマン、通訳者、領事館関係の方々でした。 公邸大広間には天皇皇后両陛下の写真と国旗が飾られていて、その広間で丸尾 眞総領事と三井物産の代封カ法を理解出来ない奴が!」と言われ、次の授業の時には「さあー。今日もロシア語文法の標本作りを始めようか?」と皮肉られた?程です。ロシア語を勉強している皆さん!諦めずに頑張りましょうね。 |